これから公表する勾玉の画像及び私の説は、これまでの勾玉の概念を完全にくつがえすものです。勾玉の謎や真実を知りたいとは思わない。勾玉は何となく身につけていればいいことがあるらしい。その程度知っていればいいと思われる方は閲覧を中止してくださいますようお願いいたします。
私が初めて勾玉と出会ったのは2001年の冬、12月沖縄の首里城の森の中でした。はじめて妻のお母さんに会いに行った時、見たこともないような珍しい樹を写真に撮ろうとしていてふと気配を感じてシャッターを押したのです。その時のカメラはフィルム式のものでしたが後で現像してみたら妙な形のものが写っていました。それが勾玉であることを知ったのはずっと後のことです。
それから10年後の2011年9月、自宅の庭で輝く光が上空へ飛んでゆくのを撮影しました。この時はデジカメでしたが、この時も私はまだ、それが勾玉であることに気づきませんでした。
その2年後の2013年9月3日PM8:30に、当時私はまだ木工の仕事をしていました。仕事を終えて工房の中で横になっていました。深いリラックス状態でした。光り輝くものと遭遇しました。その光は数分間工房の中を飛び回り、どこかへ消えました。私はその間手元にあったカメラでシャッターを押していました。翌日モニターで見たのですが、これが勾玉だということに気づいたのは少し後のことでした。そして、ずっとその勾玉のことは誰にも話さず自分の胸にしまっておこうと思っていました。
そして、ある日私は、あるチャネラーの女性と図書館『みらい』で出合い、チャネリングを受けたのです。その時、私はインドのラクシュミーという女神からメッセージを受け取りました。その内容は「自分の箱の中に閉じこもっていないで、その事を人々に伝え、そして人々を倖せにしてください。」というようなものでした。それがどういう意味か私はすぐに理解しました。この時、私の中で何かがはじけました。私が勾玉の本当の真実を伝えなければ勾玉の真実は永遠に世に知られなくなってしまう。行動しなくてはならないと感じ、そして、この時から私の勾玉づくりの道が始まりました。
勾玉は波長が合わないと見る事ができません。テレビのチャンネルが合わないと映らないのに似ています。
縄文人は豊かな感性と直観力を持ち、宇宙の根源、絶対の存在と波長が直結していました。それ故、勾玉が見え、人々はそれを形にして身につけて、自分を守り子孫を守ろうとしました。勾玉は光の球なのですが弧を描いてとぶためCの字形に見えます。頭の部分はソフトボールより大きく、外側はオレンジ色と青色に輝いています。そして、尾の部分は紫色で透きとおっています。光の勾玉に目はありません。石の勾玉は穴を開けてひもを通して首にかけていたため、あたかもこの穴が胎児の目のように見えたことが、勾玉胎児説が広まった理由です。
縄文時代、人々は動物や魚などを狩り、木の実を集める狩猟採集生活をし、自然と共存して精霊崇拝をしていて戦いのない平和な時代は一万年近く続きました。(ここまでは神の時代でした。)
弥生時代になると稲作が始まり、金属器が使われるようになって人々のくらしや社会の様子が急速に変化してゆきました。コメが蓄えられるようになると、貧富の差が生まれ、支配するものとされるものが現れ、平等だった社会が崩れ、争いが起こるようになりました。
このころから勾玉は継承されてはゆくものの次第に縄文人の直感や感性は失われ、光の勾玉が見えなくなってゆきました。古墳時代になると各地に王権を持つ者が現れ、巨大な古墳が作られ勾玉はただ副葬品として納められるようになりました。渡来人との混血もすすんでゆきました。
その後、538年仏教が伝来すると神を見失っていた人々は仏像や教典、念仏という目に見える神様を信仰するようになってゆきます。しかし仏教を信仰しても相変わらず戦乱の時代は続きました。
勾玉にはその石自体の持つパワーと勾玉としてのパワーがあり、この二つが相乗効果を生み大きなパワーとなります。 翡翠の勾玉は活力を増進させ、生命力と精神力を高めるといわれています。 健康の回復に効果があるでしょう。また魔除けやお守り、物事を成功へと導き富をもたらすといわれています。危険を回避させ、仕事の成功に有益です。愛する人と深く結ばれるでしょう。 勾玉は、生きている人ばかりではなく、亡くなった人やペットの魂をも鎮めてくれます。古墳に勾玉が埋蔵されたのはそういう理由からでした。 時々、亡くなった人やペットの写真の上に勾玉をのせてあげるだけで良いです。又、遠く離れた大切な人、自分の子供や親、恋人の写真の上にのせる事でその人を守ってくれます。 縄文の人々は、これらの力をすでに知っていました。 そしてあえて翡翠という硬い石を用いて勾玉を作りました。機械も道具もない時代に石や竹、砂など身の回りにあるものを使って時間をかけて作りました。平均寿命が20代~30代という時代、人々は生命の無事と子孫の倖せを祈りながら作った事でしょう。その情熱、根気、祈りの心の強さには驚嘆します。私も縄文の人々の心に近づいて制作したいと思います。(縄文の人々の波長となって作りたいと思います。)そして、皆様の倖せに少しでも役立てれば嬉しいです。 今一度、光の勾玉の画像を見つめてください。そして指でさわってみて下さい。それだけでも力を得る事が出来るでしょう。
宇宙と周波数の合った波動の高い勾玉は、尾の先端から5cmから10cm位の白い光が放たれています。この光は、ライト的な光ではなく、宇宙の波動エネルギーなので動画ではわかりにくいかもしれません。実際はもっと太い光なのですが、画面を明るくしてご覧ください。 この光のエネルギーはだれでも少し練習すれば見えるようになり使えるようになります。ただし、宇宙の周波数と合った波動の高い勾玉でないとエネルギーは動きません。
勾玉を手に持って尾の先端を頭頂にかるく触れてから髪に触れるくらいの近さで時計回り(右回り)にゆっくり10回回します。 次に眉間、喉、胸、みぞおち、丹田の順に同じように行います。 丹田のあたりで白い光が見えてきたら不調部分、内臓、首、肩、腰、精神面では心臓にそれぞれ光を照射してヒーリングを行います。 弥生時代以降、今日まで忘れられて来た勾玉のパワーの秘密です。 勾玉の光を見るコツは、尾の先端を凝視せずに、視点をわずかにはずしてぼんやり見る事です。
宇宙と波動の合った翡翠やラブラドライトの勾玉の背の部分からは、天に向かって真っ直ぐに閃光が放たれています。 この時、人は宇宙と繋がり、無限のギフトを受け取るようになります。 ラブラドライト、宇宙の波動、霊感、潜在能力、インスピレーション。
ラブラドライトの勾玉は宇宙と波動が合ってくると 光を出し始めます。勾玉づくりはここが重要な ポイントになります。この光が出るように 波動を合わせて製作しています。
勾玉を購入してくださった方々からその後の変化についてご報告いただいていますのでその一部を紹介させていただきます。
光の勾玉が現れる前にはまず、おびただしい数のオーブが現れます。オーブは人間の可視光線より波長の短い近赤外線領域で見られることが解っています。ここは霊的な領域ですが、光の勾玉はもっと高い次元に存在します。そこは人間がどんなに修業を積んでも、又どんなに科学が進歩しても垣間見ることすら出来ない世界です。 霊能者の方に光の勾玉は見えません。勾玉は霊ではないからです。
人間の脳波にはいろんな段階があって、ベータ波(14~28Hz)は考えたり動いたりしている時の脳波です。アルファ波(7~14Hz)はリラックスしている時の脳波です。シータ波(4~7Hz)はより深くリラックスしている時の脳波で、ブッタの脳波ともいわれ、絶対の存在と繋がっています。 デルタ波(0.5~4Hz)は深い眠りや無意識の状態にある時の脳波です。これらの脳波の中でシータ波状態の時、光の勾玉は見えるのだと感じます。ヨガの瞑想でクンダリーニーの上昇という段階で勾玉の形をした光を見る事があります。まさにこの時がシータ波になっている時で宇宙の根源と繋がっています。そして又、潜在意識とも繋がっています。
縄文時代は戦いもなく人々は自然の恩恵に授かりながら神に感謝しながら生きていました。遠いところの人々とも交易が盛んでこの平和な時代はおよそ一万年続きました。
やがて弥生時代に入り稲作が始まると貧富の差が生まれ、支配する者とされる者が現れ、争いが生まれ、人間同士の戦いが起こるようになります。この頃から縄文人の感性は失われてゆきます。縄文人がそれまで持っていた波長も次第に変わり、全く別の人間になってしまいました。この頃から人々は光の勾玉を見る事はなくなってゆきます。
しかし、それでもなお光の勾玉はすべての人々に寄りそって来ました。そして守ろうとして来ました。しかし、悲しい事に守る事が出来ませんでした。それは人々のアンテナが完全にさびついてしまったからです。
光の勾玉は電波のようにいつもそこに存在しているのですが、人々は戦争という長い歴史の中で絶対の存在と遠ざかってしまいました。根源の力を受け取るべきアンテナが壊れてしまいました。そして、失われてしまったアンテナ(受信器)の代わりをかろうじてしてくれるのが実は勾玉なのです。縄文人のDNAを持つ日本人は特に根源と繋がり易く真理へと導かれてゆきます。また外国の方でも勾玉によって真理へと導かれてゆきます。勾玉に国境はありません。
そして人々が真に倖せになるためには私たちは絶対の存在から光を分け与えられた同胞なのだという一元的な真実に気づくべき時が来ています。
勾玉は昔から森羅万象の源と言われて来ましたが、それは光の勾玉は全ての命の元となるからです。私たち人間をはじめ全ての命あるものは宇宙の根源、絶対の存在から光の一部を分け与えられてこの世に誕生して来ますが、この光こそが勾玉なのです。光の勾玉は全ての人々に分け与えられて、全ての人々に寄りそっています。
光の勾玉は大いなる光の世界からやって来ます。そして人はその命を終えると身体は土に帰り、光の勾玉は元の光の世界へ戻ります。そして意識(魂)は生前の人生と過去世のこれまでの人生が総清算されその人にふさわしい世界へ行きます。
そしてまた生まれて来る時、寄りそっていてくれた光の勾玉は意識(魂)をつれて再びその人に宿ります。私たちはむこうの世界とこっちの世界を行ったり来たりしているのです。そしていつか意識(魂)が十分に成長して、魂が光に吸収された時、光は元の光の世界へ帰ります。そしてその人は再び生まれ変わってくることはありません。私たちが成長しようと思うように光もまた成長を望んでいるのです。
私たち命あるものの本質は光なのです。
工房に現れた不思議な形の光、それが何なのかずっと分からなかったのですが長者ヶ原遺跡へ行けば何かわかるかもしれないと思い行って来ました。長者ヶ原遺跡はどこか懐かしい気がしました。
そして隣の長者ヶ原考古館へ入り、展示室で見たものは、工房で現れた光とそっくりな牙状勾玉でした。鳥肌が立ちました。これは縄文時代早期、長者ヶ原遺跡で作られ、ここで出土したものです。縄文の人々はCの字形勾玉も牙状勾玉も想像ではなく、日常実際に見ていた光を作っていたのだと確信しました。おそらく土偶も見ていたかもしれません。
オーブは高次の知性体で、人々を守護し、倖せをもたらすと言われます。
愛と癒しの使命を持つもの「オーブは希望のメッセージを伝える」
クラウス・ハイネマン&グンディ・ハイネマン
姫川ではしばしば説明のつかない不思議な石が見つかることがある。 桃のような形をした『めのう』の原石をふたつに切ったら、中から青いめのうに抱かれた水晶の結晶が現れ、キラキラと輝き、強いエネルギーを発している。 調和の『めのう』と浄化の『水晶』。ふたつとない超希少石。 飾って置くだけで福を呼ぶ。左右共に130×100×55(mm)。
糸魚川翡翠の中にはどうしても説明のつかないものが刻まれていることがあります。それらを見る時、私はレムリアの風を感じます。私は縄文人はレムリア大陸からやって来たと考えています。
その理由は
現在、日本でY染色体ハプログループDを一番持っているのはアイヌと沖縄の人々である。これは、縄文人が渡来系弥生人との戦いをさけるため北と南に移動したためだと考えられている。
レムリアブルー翡翠勾玉からはその製作途中からすでに奇跡の青い光の放射が始まっています。
私たちを守るレムリアの青い光、私たち日本人も 縄文人もレムリア大陸からやって来ました。
レムリアと縄文人と奴奈川姫が繋がった姫川から人々を守る美しい勾玉が生まれました。
これからも人と宇宙根源を繋ぐ勾玉を供給してまいります。
勾玉は形にすることは誰にも出来ますが、本当のパワーと正しい波長を持った勾玉を作れる人は限られています。あえて言わせていただければ一定の波長を継続できる人と縄文人のDNAを持った人です。量産の勾玉は普通の石のアクセサリーの要素が大きいところがあります。しかし、当工房はどのようなものであれ、否定するものではありません。それは勾玉はその形にも十分な意味があるからです。
画像は合成でも何でもありません。実際の画像です。
全ての画像は、著作権法により、著作権者の許諾なく使用することを固くお断りいたします。
勾玉は邪(よこしま)な心には応えてくれる事はない事をご理解お願いします。