糸魚川翡翠について

歴史

姫川

糸魚川翡翠は縄文時代およそ七千年前から糸魚川縄文人が大珠(たいしゅ)や勾玉を作るのに使われていたが、古墳時代晩期から翡翠と勾玉は終焉を迎えて奈良時代には完全に歴史上から姿を消してしまう。永い時を経て、昭和10年糸魚川の文士 相馬御風氏(早稲田大学の校歌を作詞した)が万葉集の巻十三の歌にヒントを得て、翡翠は新潟地方のどこかの川底にあるに違いない。必ずや越の国に翡翠ありと信じ、地元の伊藤栄蔵なる人に探させたところ、昭和10年8月に小滝川で10数個の翡翠を見つけたという。一方、糸魚川市根知村の住人 大町瀧二氏が小滝川で緑色の硬い岩石を昭和13年に発見、昭和14年に東北大学理学部 河野義礼先生にこの石を持ち込み、化学分析を行い、縄文以来初めての翡翠の発見となる。この翡翠は現在でも姫川、小滝川、青海川、糸魚川の海岸、富山県の海岸に産出するが素人が見つけるのは極めて困難である。2016年に翡翠が国石に制定されたこともあり、この地を訪れる翡翠ハンターが増加、ますます見つけることが難しくなりつつある。

糸魚川と奴奈川姫(ぬなかわひめ)

沼河比売(奴奈川姫)は、日本神話に登場する女神です。奴奈川姫は糸魚川あたりに住んでいて、翡翠を用いて祭祀を行っていたようです。出雲の大国主神(おおくにぬしのみこと)に求婚され、建御名方神(たてみなかたのみこと)(諏訪大社)を生んだとされています。糸魚川市には、奴奈川姫にまつわる伝説が数多く残されています。奴奈川神社をはじめ、青海町黒姫山の山麓に福来口(ふくがくち)という大鍾乳洞があり、奴奈川姫はここに住んでいたといいます。
JR糸魚川駅前には、奴奈川姫の像があり、子供の建御名方命がすがりつき奴奈川姫は左手に翡翠の勾玉を連ねたものを持って立っています。

姫川と万葉集

万葉集

『万葉集』ではただ一首、奴奈川の地名を読みこんだ歌があります。「奴奈川」は現在の姫川で、その名は奴奈川姫に由来し、「底なる玉」はヒスイ(翡翠)を指していると考えられます。

姫川の底に眠っている玉
探し求めて得た玉かも知れない
川底をはいずり回り 拾って得た玉かもしれない
その玉のように 美しく若い君が
年老いてゆくのは 惜しい事だよ

入りコン沢翡翠について

入りコン沢翡翠(いりこんさわひすい)は 世界でただひとつの場所 糸魚川市小滝村の小滝川の支流 入りコン沢の地点からかつて産出した翡翠です。美しい青やこげ茶色の入った世界的にも類を見ない 希少な石と言われる。

発見当初、翡翠はまだ緑色と信じられていたため誰もこの石に 関心がなかったが、糸魚川のフォッサマグナミュージアムが この石は世界的にも極めて珍しい翡翠だと発表してから 一気に脚光を浴び、翡翠ハンターたちがこの沢へ押し寄せるようになり 入りコン沢翡翠は、残らず取り尽くされ、天然記念物として採取は禁止となってその場所はただ見るだけの観光スポットになっている。

縄文時代から使用された翡翠が、奈良時代に歴史上から姿を消していたが、昭和10年、小滝村の伊藤栄蔵氏が初めて小滝川で翡翠を発見した。
そして、入りコン沢翡翠が、まだ世に知られる前に伊藤栄蔵氏は、この石の価値を見抜き、コン沢翡翠の巨石を発破で 爆破して小さくして仲の良い友だちと半分づつ分けた。 姫川勾玉工房が製作に使用する入りコン沢翡翠は全て この時の石です。